【気まぐれ日記】

人間もすなる日記といふものを
ネコもしてみむとて するなり
というわけで
気まぐれに日記でも書いてみようと思います
さて いつまで続きますか・・・

2017年2月10日(金) <病院>
今日はK病院の乳腺科を受診してきた。
昨年5月に市の乳がん検診で要精密検査という知らせが来て、FADカテゴリー3という診断だった。すぐにK病院に予約を入れたのだが、「半年先までいっぱいです」と言われ、そんなに放っておいて大丈夫なのかと不安のうち、ようやく11月に受診、5ミリほどの黒い影があり、乳房に針を刺して細胞を取る細胞診の結果、「悪性のものは見られませんでした」との事、ほっと一安心した。
それにしても待った。予約より早めに行ったのだが、マンモグラフィーと超音波が2時間待ち、診察が1時間待ち、細胞診が1時間待ち、朝9時に家を出て、お昼も食べずに帰宅したのが3時過ぎだった。
今回は3か月後、大きくなっていないか調べるということで、10時10分に超音波、10時30分に診察の予約だったのだが、超音波は11時、診察は12時過ぎまで待たされた。そして診察は3分もかからず半年後にもう一度検査しましょうということだった。
それにしても予約通りに検査ができないものだろうか。できない約束はしないでもらいたいものだ。これだから病院には極力かかりたくないのだ。これから毎年がん検診の代わりに病院に行かなけりばならないと思うと憂鬱である。

2017年1月18日(水) <今日もテレビで・2>
今日は生協の注文・配達の日だ。普段は午前中にカタログチェックとネットで注文を出すのだが、カタログチェックは昨晩しておいたのでネット注文だけで済んだ。
おかげで全豪オープンテニス2回戦を見ることができた。錦織圭と、世界ランク72位のフランスのシャルディーとの対戦だ。
第1セット6-3、第2セット6-4、第3セット6-3と、ストレートで錦織が勝った。

思えば我が家には長いことテレビがなかった。10年以上テレビのない生活をしていたのだが、完全地デジ化されたのを機についに購入することにした。主殿と二人だったころは朝ドラと夜の2時間程度の視聴だったが、一人になった今は見ていなくてもテレビがついていたりする。普段は夕方5時から報道番組を見ながら夕食にするのだが、今は大相撲の初場所中なので相撲中継を見ることにしている。今場所は横綱が連敗、途中休場する中、稀勢の里が単独トップで優勝の期待がかかっている。次々に新しい力士が上がってきて楽しみでもある。

2017年1月16日(月) <今日もテレビで>
今日も寒かった。ストーブを点け、コタツにあたりながらテレビを見ていた。
全豪オープンテニス1回戦、世界ランク5位の錦織圭と、世界ランク45位のロシアのクズネツォフの対戦があった。
第1セット5-7、第2セット6-1、第3セット6-4、第4セット6-7、第5セット6-2で錦織が勝った。
第4セットはタイブレイクのあと6-7で相手のポイントとなり、大接戦だった。
3時間半という長時間の試合で、よく集中力が途切れないものだと感心する。
日本人が世界の舞台で活躍するのは嬉しいものだ。これからも応援したいと思う。

2017年1月15日(日) <雪の京都を舞台に>
この冬一番の寒気の影響で、各地で雪が降った。
大学入試センター試験にも影響が出たようだ。
太平洋側の勝浦では日差しがあったが、気温は低く、底冷えがした。

全国都道府県対抗女子駅伝をテレビでやっていた。駅伝発祥100周年だという。
42.195Kmを中学生、高校生を含む9人でタスキをつなぐ。
道路は除雪されていたが、時折雪が降り、厳しい条件の中でのレースだった。
優勝は京都(3年ぶり16回目)、2位が岡山、3位が千葉という結果だった。
私は陸上競技が苦手で、短距離はビリ、長距離も100人中80番目という成績だったが、マラソンや駅伝を見るのは大好きである。
選手たちの健闘を讃えたい。

2017年1月9日(月) <虹>
今朝7時半ごろ、日が差していたので洗濯をしたのですが、ベランダに出てみると雨、狐の嫁入りです。
ふと台所の窓から外を覗くと、北西の空に虹がかかっていました。
やがて太陽は雲に隠れ、虹も消えましたが、珍しい瞬間に出会えてラッキーでした。

2017年1月7日(土) <迎春>
今年もお正月がやってきました。一人で迎えるお正月です。4日は主殿の命日でした。
簡単なおせちとお雑煮で三日間過ごし、一人鍋にもお餅を入れて食べました。
おせちも一日三食三日間も食べるとさすがに飽きますが、一人なので自分で消費するしかありません。
今日は七草粥にしました。
今年のお正月は穏やかに晴れた日が多く、家にいる分には暖かで良かったです。
箱根駅伝は往路復路ともに3年連続青山学院大学が優勝しました。

2016年12月17日(土) <冬至は21日ですが>
Fさんから頂いたゆずがしなびてしまいそうなので、今日は早めのゆず湯にしました。
ふだんは一人なのでシャワーで済ませていますが、2年ぶりに浴槽にお湯を張り、ゆっくりゆず湯を楽しみました。おかげで温まりました。
Fさんありがとうございました。

2016年12月11日(日) <12年ぶりです>
しばらく見ないうちにブログが消滅してしまいました。主殿と一緒に行った万座温泉、高湯温泉、伊香保温泉、奥塩原温泉、渋温泉などなど思い出が盛りだくさんです。
今はfacebookとか流行っていますが、発信したい情報もないしお友達が欲しいとも思わないので今一つハマるところまでいきません。

2007年9月、いろいろあって東京から千葉県勝浦市に引っ越しました。静かな良いところです。東京まで2時間なので遊びに行って行けないことはありません。

2015年1月4日、主殿が2年4ヶ月の闘病生活を経て他界しました。眠るように逝きました。余命宣告されてから、夢だった「ビリヤード台のある家」を実現し、一緒に玉突きを楽しみました。今は私一人で遊んでいます。

2016年12月3日、親戚5人を招いて、主殿の三回忌の法要を営みました。もうじき亡くなって2年、長いようで短いようで、部屋は生きていた時のままになっています。

12月7日、主殿が入院していた時同部屋だったFさんが、柚子を持ってお線香をあげに来てくださいました。満身創痍のFさんですが、自分で運転する車で病院に通い、命の限りを生きていらっしゃるのが、すごいなあと尊敬します。

12月9日、髪を切りに行ってきました。ベリーショートにしてもらいました。これで半年は美容室に行かなくて済みます。

12月11日、今朝は冷えました。ストーブをつけました。時折雲が日を隠すけれど、窓から入る日差しもあって、10時半現在部屋の気温は22.3度まで上がっています。南向きの掃き出し窓がぺアガラスのおかげでしょうね。もうストーブは消しました。コタツでぬくぬくです。

2004年10月16日(土) <秋深まる>
11月上旬の肌寒さ・・・
こんな日は暇さえあればお布団にもぐりこんで、ついウトウトしてしまう。
全く そのまんまネコだ。
もうすぐコタツの季節。楽しみだにゃ^^;

なんだか明日はお出掛けの気配だ。
あまり暖かそうな場所じゃないんだけど・・・ま、お供するしかないですにゃ。

2004年9月1日(水) <ついに!>
長期にわたる懸案事項だった「カーテンのクリーニング」をする機会がやってきました。なんと、4年半も吊るしたままだったのです。何度かクリーニングしなきゃね、とは言ってたのです。他の部屋のは洗濯機で洗ってるのですが、そのカーテンは別格で。去年の秋、カーテン新しくしようか?てな話もしたんですよ。でも部屋の雰囲気あまり変えたくないし〜迷ってるうち繁忙期に入ってしまい手付かずのままでした。
そのカーテンだけはサイズが特殊なためオーダーしたもので、イメージを決めるところからオーダーに漕ぎ付けるまで2,3ヶ月かかってるのです。主人と私の美意識の接点を見つけるのにそりゃあ苦労しました。なわけで、代わりのカーテンを作るには色柄選びからお値段まで、あーでもないこーでもないと、延々と迷うのは火を見るよりも明らかです。

クリーニングの話に戻ります。この秋は日差しが少なく涼しいから1週間くらいカーテン無しでも大丈夫だろうと思い、ついにその気になりました。取次店をしている知り合いのNさんに「オーダーカーテンのクリーニング大丈夫ですかねー」と聞いたら「おう、持って来いよ」。
さて、朝からカーテンの取り外しです。思い切り背伸びして、目一杯手を上に伸ばして、腕も足もつりそうでした。外してみると汚い汚い!レースのカーテンなんてネズミ色。当たり前です、4年半。手も真っ黒になりました。カーテンボックスの内側が、これまた真っ黒だったので、窓際大掃除までしちゃいました。古いレースのカーテンを引っ張り出してきて一時凌ぎに取り付け、部屋はこれでOKです。
さあ、掃除してて遅くなりました。昼前にはNさんのお店へ持って行こう!と、大きな手提げ袋2袋に詰め込んで、勇んで出掛けました。カーテンって嵩の割には意外と重いのね、なんて思いながらNさんのお店に辿り着くと・・・「本日定休日」。あのねぇ、Nさん、言って下さいよお・・・そういえば聞いてたような気もするが?。とぼとぼ引き返しました。明日は朝一で持って行きますからね〜。

ようやく綺麗になったカーテンで年が越せると思うと嬉しいです! 年越しの話はまだ早い??いえいえ、年末は特別繁忙期。大掃除は爽やかな秋の日のイベントと決めています。

2004年8月19日(水) <ある日、、>
午後から小川町へ買い物に行きました。MP3プレーヤーを扱っているショップで目的の物を買い、充電して、データストレージ用にフォーマットしてもらいました。
そうするうちにちょうどよい時間です。映画「誰も知らない」を見に行く予定にしてたのです。で、有楽町へ向かいました。東京駅から徒歩ってのが我家らしいところ。
でも・・・「今日はいずれの回も満席です」の表示が!。。。がっかり。
話題作だしね、女性1,000円の日だったし、思いつきで来たのが間違いってもんです。他に見たい映画もなかったので、近くのデパートのバーゲン冷やかしていくことにしました。すごい混雑、女性パワーに圧倒され落ち着いて見てられません。そんな中に主殿を一人立たせておくのも気の毒なので早々に引き上げました。
しばらく炎天下のベンチに座って休憩。「新橋でビールと焼き鳥…」なんて言い出す主殿。この暑さにビールでは熱中症になりそうだった私は、歩いて来る途中で見つけたパスタのお店に行きたい〜と主張し、主人も「そこのビールで勘弁しとこう」と妥協、早めの夕食にしました。
帰りにDVDでも借りて、夜はビデオタイムにしようということになり、家の近所のレンタル屋へ寄ったのですが・・・「ロード・オブ・ザ・リング-王の帰還」が貸し出し中でまたまた残念(T T)。敢えて買わないところがこれまた我家らしいところ。
うちはテープのはダメでDVDしか見れないんですよ。 そのお店のDVDは数が少なくて、結局ディズニーアニメになり…お風呂上りは部屋を暗くして、アニメを楽しみました。
この日のお散歩は5時間、暑かったけどのんびり歩いたので、まあ楽だったかな?

2004年7月25日(日) <帰省その2>
朝は早くに目が覚めた。6時までは寝ていようと、布団でゴロゴロしていたが、何しろ昨夜は早くから眠りについたから身体が起きたがっていた。もうひと寝入りしそうな主殿を残して階下に降りた。

朝ごはんの支度を手伝ったのだが、味噌汁に入れる味噌が足りない。母は「あら、どうしましょうかねえ」と笑いながら、醤油を入れて味見して、「うん、できたわ〜」さすがお義母様!
主殿はなかなか起きてこない。様子を見に行くと、ぐっすりと眠っている。そっとしておいて、先に3人で朝ごはんをいただいた。

父は老犬クロの餌の準備をすると、散歩に出かけ、すぐ戻ってきて餌を与える。最近餌を残すクロに話し掛けながら、ドッグフードに少しずつミルクを足しながら食べさせていた。私も残りを手に取って食べさせようとしたが、匂いを嗅ぐだけで顔をそらす。餌のない手と腕はペロペロ舐めるので、クロの身体を撫でてやると気持ちよさそうにじっとしていた。

午前中は、父の体調を聞いたり、後世に残して置かねばという思いでタイピングした原稿を見せてもらったり、色々なお付き合いの中で私が困らないようにアドバイスを受けたりと、ゆっくりと話ができた。父の精神活動は極めて活発で、パソコンをマックからウインドウズに変えてみようかなどという話もしていた。恐れ入りましたお義父様!
母が水でお抹茶を立ててくれた。さらりとして冷たくて美味しい。

昼は姉が車で松江に連れて行ってくれた。宍道湖の七珍が味わえるというお料理屋さんのお昼の会席膳は見た目にも美味しそう。シジミご飯、鰻、美味〜!お腹一杯!ここでも父はビールを2本も注文し、ほとんど私と二人で空けた感じだ。広い和室、窓の外にはお庭が造ってあり、塀の向こうには宍道湖が見える。ゆったりと静かな時間が流れる。何という贅沢をさせてもらっているのだろう。有難いことだ。

食事後は宍道湖の周りをドライブ、湖のほとりの喫茶店でお茶したあと、お土産物やさんへ寄ってもらい、そのまま米子空港へ送ってもらった。車中では饒舌な父、お昼寝の母、酔いが回ってボーッとした私。でも会話が弾んで(?)いた。昼食といい、ドライブコースといい、空港への到着時間までも、細かい心配りをしてくれる姉である。ありがとうお義姉様!

みんなに会えてお話できて、とても幸せな2日間だった。心配なのはやはり父のこと。家の中では何も心配なく見えるが、慣れない場所への外出には手助けがいるようだ。いつもの道といえども一人で出かけて転んだりしないようにと願うばかり。できれば頻繁に訪問したいところだ。父が楽しそうに話すのを見ていると、楽しい日をもっともっと沢山作ってあげたいと思う。

帰りの飛行機内では、ドリンクサービスが来たのも知らずに爆睡^^;。飛行時間1時間では寝足りなかった。朝早く起きすぎたか?昼のビールが効いたか??これまたいつものことながら眠ってばかりで情けない。


2004年7月24日(土) <帰省>
いつものことながら突然、今日から一泊二日で、主殿の郷里へ帰省することになった。両親に会うのは、去年の4月に両親が上京したとき以来である。

実家は、長年の持病を自己管理しながら80歳になろうとする父と、カルチャー教室の講師をしている75歳の母の二人暮し。実家から程近い所に主人の姉がいて、何かと世話をしてくれている。
その父が月に一度の検診で検査入院を勧められた際、「体調がよくないので今は入院できない」と前回も前々回も断ったらしい。家族にとってはかなり不安な言動ですね、これは。今まで実家へは忙しさにかまけてなかなか帰らなかった主殿だったが、心配はしていたようである。週末の仕事を早めに片付けて行こうと提案したら、すぐ受け入れてくれた。

とういわけで、普段は寝ている午前中から飛行機に乗り込み、米子空港に降り立った。
いつものように姉が空港まで迎えに来てくれていた。この日は境港市にある美味しいお蕎麦屋さんで、とろろ蕎麦と割子蕎麦をごちそうになったあと、実家へ送ってもらった。
実家では父がゆったりと自分の時間を寛いでいるところだった。母はちぎり絵の展覧会準備で出かけていたが程なく帰ってきた。姉と5人でしばらくお茶などしながら話をした。父はとても元気そうだった。
3時ごろになると父は書斎にこもり、TVだけが元気にしゃべっているので、主人と私は昼寝をした。私ったら大の字になってぐっすり1時間も眠っていたので、その間に母が晩ご飯の買い物を済ませていた。
夕方、父が洗濯物を取り込み、老犬クロに餌を与え、さらに庭木に水撒きまでしていた。老犬クロも私たちの訪問を喜んでくれた。
私は昼寝分を挽回しようと、晩ご飯の支度を手伝いに台所へ入った。料理を一緒に作るのは楽しい。毎日こんな風にできたらいいのになと思う。母の料理は手早い。あっという間にごちそうの出来上がり。
父は既にビールの用意も怠りない。主人がほとんど飲まなかったものだから、お変わりは私が遠慮なくいただいた。日ごろの稽古の成果がこんなところで発揮されるとは・・・。

夜は涼しい風が窓から入る。昼間の暑さが嘘のようだ。主殿は風呂から上がるとさっさと寝てしまった。私は母が買っておいてくれた真っ白なパジャマに包まれて、普段より早く眠りに落ちた。

2004年6月23日(水) <平和な休日>
今日は主殿が休みで、天気が良かった。
家にいるのも暑いので、どうせなら出かけようということになった。
飯田橋の外堀端にある半野外カフェへ行き、
パラソルの下でランチして、お堀の水面を眺めてのんびり過ごした。
暑かったけどねー。
そこにボート乗り場があって、
一年に一度はボートを漕ぎたくなるのだ…どういうわけか。
ボート乗り場のオジサンはお昼ご飯かお昼寝か、
なかなか姿を現してくれなくて、諦めかけたころお出ましに。
炎天下、ボートに乗った。
漕ぎ手は、行きは私で帰りは主殿。
私の漕ぎ方は下手っぴ。
風の影響を受けて蛇行するし、
左へ行こうとして右へ行き、慌てて修正するという有様。
何とか木陰へボートを着けて、しばし休憩。
顔は化粧でガードしていたが、腕が日焼けした。

そのあと御茶ノ水でビリヤードして、神保町あたりをうろついて、
晩ご飯はお魚定食専門のお店で かつおの刺身定食をいただいた。
いやー歩き疲れた。

世間では物騒な事件も起きているというのに、
実に平和な一日であった。

2004年6月20日(日) <試合>
今日は剣道の試合でした。女子は個人戦。
ここ2週間ほど気管支炎で休んでいたので稽古不足ではありましたが、 薬を飲んで、ちょっと無理して出場しました。
な、なーんと、
一回戦は初めて勝ちました!・・・ただし不戦勝^^;アハ
二回戦は粘りましたが3分経過しないうちに二本とられました。
まあ相当強く打ち込まれたし、納得のいく負けでした。
ま、私が勝つことなんて当分有り得ないって。。。
試合の後は会場片付け隊(これがメインかも)&打上げで(薬飲んでるから酒は自粛したけどー)かなり疲れました。

2004年6月15日(火) <田舎>
亡き祖父母の家へ片付け物に行ってきた。
遠州地方の田舎のほう。
東京と違って静かというか、のどかな感じがとてもいい。
また来月行くんだけど、8月は祖父の初盆だし、
その後も何度か足を運ぶことになりそう。
祖父母の思い出とともに、
幼いころ叔母達に可愛がってもらったことが
ひとつ、またひとつ、思い出される。

2004年4月22日(木) <不思議な日>
今日は主殿の休日であった。
昼すぎ、電話が鳴った。
「Eちゃんかな?」と主殿が呟く。
電話に出た私の耳に飛び込んできたのは「みけにゃんこさんでしょうか…」と、電話セールスを連想させる女性の声であった。一瞬戸惑っていると「お久しぶりですぅ」という彼女は紛れもなくEちゃん。Eちゃんは私たちの共通の友人なのだが、電話で話すのは久しぶりだった。私は主殿にも受話器譲って、かれこれ一時間ばかり話し込んだ。

夕方、また電話が鳴った。
このとき私は恥ずかしながら爆睡中で、電話の音に驚いて反射的に起き上がったものの、夢うつつで主殿を見つめた。「みけにゃんこ、電話に出ろ!」との命が下り、とりあえず受話器をとったのだが・・・
「もしもし?」「はい・・・・」「たぬーですが〜」「はい・・・・」「あれ?寝てた?」。ようやく電話の主がたぬ殿であって主殿に取り次がねばと理解した私は「い、いえ!いま主に代わります!」。
たぬ殿と主殿との会話はずいぶん長時間だったが、私もソレナリに正気に戻るにはずいぶんと時間がかかった。もう晩ご飯ができていなければならない時間なのに、支度も何もしていなかった。まだ電話中の主殿からのサインは、“寿司でも取れよ”・・・
“らじゃー”

私の携帯からいつものお寿司屋さんに電話した。
「波、三人前をお願いします」「波の三人前、○千○百七十五円ですね」。待つこと数十分、出前が届いたのはちょうど電話も話が終わったときだった。
「巨大大舟お待ちどおさまー」。私はすぐに用意していた代金を差し出した。「え?巨大大舟五人前をご注文ですよね??」「いえ、うちは三人前の、何ていうのだったかな…」「ちょっと待って下さい、店に確認します」。ちょっとオケが大きいような気がしたのは気のせいではなかったのだ。
出前のお兄さんが戻ってきた。「差し支えなければ巨大大舟を受け取っていただけないでしょうか」「・・・?」「波の代金で結構ですから」。ビックリ仰天、それってあり?。何でも注文の受付時に混乱があったらしい。そういうわけで夜は特特上寿司をたらふくいただいた。たぬ殿が近くに住んでいたらお呼びするのにと言いながら、、、差額は誰が埋めるんだろうかと主殿と二人で心配しつつ。お寿司屋さんのシュッケツ大サービス、お客の心理をついている。

それにしても、不思議な一日だった。旧知の友人ふたりから電話があるなんて。しかもそれらが長話だったのもまた珍しいことだ。おまけにお寿司を取ったら並が特特上に化けた(?)のだから・・・。

2004年3月27日(土) <お花見〜!>
さて、天気も上々、いよいよ今日はお花見だ。
昨夜の夜更かしがたたって(?)、起き出したのは11時。
たぬ殿の装備はすごい!
小型のリュックにキャンプ用コンロとフライパン、熱い湯を入れた水筒などを入れ、座るための断熱シートを丸めてリュックの両側に付けている。そのままキャンプに行けそうな格好だ。
酒とクーラーボックスに入れた肉類を主殿が持つ。私は野菜を予め切ってラップにくるみバッグに入れた。
電車とバスと徒歩で1時間半くらいか、目的地に着いたのは午後2時近かった。沢山の人がお花見に来ていた。ソメイヨシノだけでなく濃いピンク色の桜や枝垂桜もあった。

途中のベンチでシュウマイをツマミにビールをクイクイッとやり、再び坂を上って下って歩きに歩いた末、煮炊きスポットを定めた。2枚の断熱シートを少し離して並行に敷き、シートの間の土の上にコンパクトなキャンプ用コンロを据えた。その上にフライパンを置いて肉、野菜を焼き始めた。「肉、買いすぎたかなあ…」そういいながらも次々と胃袋に納まっていく肉たち。今日の酒は、いま我家のブームである紹興酒。酔いも回ってのんびりといい気分だ。
焼肉も終わりに差し掛かった頃、たぬ殿は「コーヒーでも飲む?」と、蚊取り線香のような形状の金属をくるりと変形させ、紙フィルターをセットして紙コップの上に置いた。そしてリュックの中から茶色い粉を手掴みで取り出してフィルターに入れ、水筒のお湯を注いだ。驚きだ!野外でも家で入れるのと同じようにレギュラーコーヒーが飲めるのだ!

今日は本当に暖かな一日だった。帰る頃には、今日一日で桜が満開になったような気がした。
キャンプ並の装備をして、わざわざ遠くへ出かけるこのイベントは、私のお花見概念を超えていた。私のお花見イメージは、コンビニで飲み物とお弁当やツマミを買って、家の近くの公園にレジャーシートを広げ、地面の冷たさに耐えながらひと時を過ごすというものだった。時には卓上コンロに鍋物があったりもしたが、大人数でないと鍋はちょっと…という感じだ。第一、普通はレギュラーコーヒーは登場しないだろう。お花見歴が浅いのでなんとも言えないが、焼肉というメニューは初めてである。

いつも思うのだが、やはり三人以上いないとつまらない。主殿と二人だけではどうも盛り上がりに欠けるのだ。そういうわけで、何かにつけてたぬ殿を頼っている我々である。

2004年3月26日(金) <お花見行くのぉ?>
今月初旬、たぬ殿から「そのうちお花見でも行きましょう」とメールを頂いていた。たぬ殿は主殿の友人である。
明日は彼らの休日が一致するというのでお花見を決行するらしい。場所はどうやら鶴見あたりのようだ。
主殿は図々しくも今日の夜からたぬ殿の屋敷へ泊り込む算段をしていた。当日待ち合わせでは朝ゆっくり寝ていられない。それにアウトドア派のたぬ殿はキャンプ用の煮炊きセットを持っていくと言うので、食材の調達も前夜のうちにしておこうと主殿は考えたのだ。
夜9時を回った頃、たぬ殿の屋敷近くで酒、肉、野菜を買い込んだ。酒の半分はその夜のうちに飲んでしまったのだが(笑)。ああ…花見の酒が・・・。

2004年3月6日(土) <映画>
映画館に行くのも半年ぶりくらいでしょうか。
「ラストサムライ」を観に行きました。
いまさら…という感じですが、ちょうど話題真っ盛りの頃は忙しくて暇がなかったから、ずっと観たいと思っていたのです。
渡辺謙だけがクローズアップされてるけど、
確かに素晴らしかったけど、
私はトムクルーズのほうがかっこよく見えたなあ^^;
アメリカ人が見た日本の最後の侍、武士道を、
彼は素直に受け止めてその精神を理解した・・・。
政府軍と勝元勢との戦いの最後のシーンは感動モノでした。
すべてのシーンで心に響くものがありました。
わざわざ観に行って良かったと思える映画でした。

2004年2月19日(木) <のんべ?>
主殿のお供で渋谷へ玉撞きに行った。大体我々が出かけようとすると実際家を出るのは午後2時とか3時とかいう時間である。 玉屋へいくと主殿はハーフアンドハーフを注文するという。私もビールを飲みたくなった。二人でビールと唐揚げを注文し、飲み食いしながらエイトボールで遊んだ。といっても、我々二人でゲームする場合、主殿は番号の小さい順に落とさねばならないという特別なハンデを設けている。これで下手なネコ相手でも何とかゲームとして成立するのだ。

さて、晩ご飯はどうしようか・・・という話になり、 主殿が「くじら」を食べたいというので「くじらや」へ行った。 くじらのすき焼き定食を注文する前に、ビールはさっき飲んだし〜…と見ると、「酔鯨」があるではないか!純米吟醸はちょっと贅沢なので一番安いのを注文した。「酔鯨」おいしかったよぉ!もうちょっと飲みたかったな。それとなくおねだりしたのだが却下された。ほんとは純米吟醸が飲みたかった^^;にゃは・・・やっぱりのんべ?

2004年2月16日(月) <14日はバレンタインデーだったのかい?>
土日は、真鶴・湯河原へ突然一泊旅行に行きました。私は乗り気じゃなかったんだけど、主殿が連休で、何が何でもお泊りするんだと騒ぐので・・・。
で、主殿が土曜日の午後になってネットで宿を予約。いつまでも宿に迷っていたので出発は夕方4時。在来線でコトコトと真鶴駅に向かいました。
真鶴駅近辺で夕食を済ませ、ワインとツマミなど買っているうち、18時50分の最終バスが出てしまいました。あらら...仕方なくタクシーに乗り、山へ向かって5分、すっごい山奥の何にもないような所に、ぽつんと、その宿はありました。宿というより、現代版コテージというのか、見た目は新しいけど平凡な普通の賃貸アパートみたいな平屋の建物に玄関が5〜6戸。中はキッチンセットのない12畳位のワンルームという感じ。安全のため夜11時から翌朝7時まではガスが止まるからお湯が出ないという面白いお宿でした(笑)
オーナーのオジサンが持ってきてくれたハーブティーを飲みながら、明日はどうしようか・・・ん?さあ・・・ ワインを飲んで、さっさと寝ました。

翌朝はまだ眠いのに、主殿ったら大型犬が駆け回っているかのように部屋を出たり入ったり。そのうち、日の出だ〜!と大騒ぎするので仕方なく起きました。
朝日が差し込むお部屋って本当にいいね。緑に囲まれて、朝日に光る相模灘と、遠くに大島と初島が見えました。
オーナーのオジサンが8時に朝食を持ってきてくれました。トースト、コーヒー、サラダの簡単なものなのに、なぜかとっても美味しい。
真鶴へ出るバスは、9時台の次は13時台。湯河原へ出るバスと合わせても1時間に1本しかないので、9時台のに間に合うように宿を出るつもりでした。そしたら、湯河原の梅林まで歩いて30分くらいだし、お天気がいいからってオジサンが梅林への地図を書いてくれたので歩くことにしました。
山坂越えて40分以上かかったんだけど、途中で一袋100円で並んでるみかん買ったり写真撮ったり、楽しいハイキングでした。
梅園の梅は3分咲くらいだったけど、陽だまりで暫し休憩。
昼前に軽く食事した後、バスで湯河原駅へ。そしてバスを乗り継いで日帰り温泉へ・・・。バス停から温泉まで傾斜45度はあるかと思うような曲がりくねった坂道を登って、辿り着くまでに疲れたー。温泉に入った後は広間でみかんを食べながら2時間ほどゴロゴロして帰りました。
今日も足に疲れが残ってます^^;
バレンタインはチョコより散歩?(笑)の我が家でしたー!

2004年2月1日(日) <つかれたまりの試し撞き>
今日は腕と足が筋肉痛です。
昨日の疲れがたまっています。
ビリヤードやって腕が筋肉痛になる人は珍しいと言われたけれど?
マイキューはバットが重いせいかしら。
疲れてるっつーのに、早速賞品のキューを試し撞きに行くという主殿。
仕方なく私も付き合いました。疲れたー疲れたー。
余計に疲れがたまりました。

2004年1月31日(土) <ルンルン>
主殿と二人で、ビリヤード仲間の結婚祝いゲーム&食事会に行ってきました。
最近剣道で疲れていてビリヤードのオフ会はパスしてたのですが、1年ぶりくらいで仲間とゲームして楽しかった! 私は初心者並みのハンデもらってたのと偶然が重なってトーナメントで勝ち上がり、決勝は主殿&みけの対決となりました。 優勝の主殿は賞品に有名メーカーのキューを、準優勝の私はキューケースを貰ってラッキー!とっても嬉しい。 5時間の長丁場を耐えた甲斐があったってもんです。
結婚したJは幸せ太りしてるし、HI君は彼女と一緒に参加だし…ルンルンですね。

2004年1月24日(土) <ウエスト問題は解決し、>
剣道仲間の結婚パーティーに行ってきた。
主に剣道関係者80名ほどが集まって大騒ぎ。
楽しかった。
主殿は 結婚パーティーのために休みを取ってたのに
インフルエンザ休暇になんてしまい、
私は下着,パジャマ,タオル、1日3回洗濯しては乾燥室に・・・
だって大量に汗かくんだもん。これには参るよ。
今夜はやっと調子戻ったみたい。
インフルエンザの特効薬ができて有難いね。
ネコは体調悪い主殿の八つ当たりの的であるからして早く治ってもらわねば(笑)

2004年1月17日(土) <ウエストが・・・>
昨日、今年初めて剣道の稽古に行った。一ヶ月ぶりだ。
で、今日は腕と肩が筋肉痛(笑)ヤレヤレ 。
来週末は友人の結婚パーティーがあるので、着て行くつもりの一張羅のスーツが着れるかどうかチェック!去年と比べてかなり体重が増加してるので直前になって不安になったのだ。
不安的中。ウエストがテンパッテいた!!
一週間限定ダイエットに励むぞ〜ガハハハ!

2004年1月1日(木) <みけにゃんこにもお正月?!>
 正月の 何がめでたい お正月 (詠み人知らず)
 三が日 食卓上だけ お正月  (みけにゃんこ)

我が家にとっては正月も平日、主殿には要弁当なのだ。三が日、或いは松の内が過ぎた頃、ようやく少しのんびりできる変わった家である。同類の方も多いとは思うのだが、正月に親の仕事が休みの家庭に育った私には、万年平日、年末年始がカキイレドキというのは未だに馴染めない。それでいておせちお雑煮の類は1日3回3日間食べたいという主殿である。薬ではないのだからそんなに食べなくても…と思うのだが・・・。

今年、主殿は珍しく元旦が休みなのだが、仕事の都合で一足早く大晦日の夜におせちを広げ、酒を酌み交わし、お雑煮を食した。
有難いことに、年末に泡盛、数の子、あたご梨を沢山頂戴して食卓が華やいだ。
数の子は国産である。初めて数の子の塩抜きに挑戦して味付け数の子を作り、これが弾むような歯ごたえで美味しい!早まってノルゥ●ー産のを買ったりなんぞしなくてよかった。
それに年末から較的暖かだったから、渇いた喉にあたご梨のボリュームたっぷりジューシーなのが嬉しかった。
主殿は泡盛の古酒の古酒を造ると言い、今年頂戴した瓶の酒を去年の瓶に半分移して棚の奥にしまい込んだ。

こうして書いてみると、結構めでたい正月の風景ではないか!
かくして、みけにゃんこにもお正月がやって来た。
皆様のお陰であります。

2003年11月08日(土) <お陰さまで ○ひで>
パソコンが動かなくなって久しい。主殿が改良しようとして壊してしまったのだ。こんなときは主殿の友人で技術者のたぬ殿に相談することにしている。メールついでにパソコンが動かないと書き添えると、たぬ殿は遠いところわざわざ様子を見に来てくれた。何かの接触不良だったようで、あっという間にパソコンのトラブルは解決した。

さて、我家の週末は食料が乏しくなる。急なお客様をおもてなしするには食材が全く足りない。そこで外食となるわけだが、主殿はこの機会に○ひでにでも行ってみようと思い立った。
我々二人だけではなかなか暖簾をくぐる気になれないのだが、お客様となれば話は別である。
軍鶏鍋のコースを注文し、ビール、冷酒をやりながら鶏料理をいただく。お通しは濃い味付けの鶏そぼろ、それから卵の味噌漬けなど鶏料理三品のあと、仲居さんが特製のタレで軍鶏のモモ肉、つくねなどを煮てくれる。とにかく軍鶏づくしなのだ。その後は残ったタレで作る親子丼か白いご飯とおしんこ、最後はデザートのフルーツであった。
ここの親子丼が、平日のランチタイムに行列ができるほど評判なのだが、並んでまで食べようと思ったことはなかった。しかし、○ひでのコース料理を食すことができたのだ。たぬ殿のお陰といっても過言ではない。

2003年10月26日(日) <合宿>
この土日、千葉へ剣道の合宿に行ってきました!
土曜日の朝、車に分乗して出発、車中で私は爆睡ー.ー;
恐れ多くも先生の運転されるお車で…かなりヒンシュクモノだったような・・・

昨日の午後の稽古は、外は寒いのに汗びっしょりでした。
稽古のあとは宴会。私は4種チャンポンちょっと呑みすぎ^^;
今日は6時半から朝稽古…気合入れすぎたかも。
稽古の後の朝ごはん時にもビール飲まされ余計に疲れました〜
沢山のエッセンスがぎっしり詰まった良い合宿でした。

午後2時半頃に帰宅しましたが、PC画面見たとたん爆睡(笑)
夕方からも爆睡、爆睡でやっと夜遅くに目が覚めました。
明日からまた「日常」がやってきます。

2003年10月13日(月) <雑魚寝の翌日>
朝食は、川崎の友人が作ってくれた朝ごはんをいただきました。
彼は祝日だというのに午後から仕事場に行かねばならないというので、
お客様と私達は我が家へ戻り、昨夜仕込んでおいたスープで昼食を済ませました。

帰りがけに渋谷へビリヤードのキューを探しに行った後、羽田までお見送り。
実はこのお客様、みけにゃんこの主殿の友人で、ビリヤードは素晴らしい腕前!そして柔道整復師、整骨院の院長先生なのです。私はとっても尊敬しているのです。
実は足と背中のマッサージをしてもらったのです。保険証を持って患者として尋ねて行っても、たぶんしてもらえないだろうマッサージを、です。気持ちよかった〜!来年も是非来て下さいね、センセ!

さて、空港内で水入らずとなった我々は軽く呑んで食事して、帰りの電車で爆睡!
危なく乗り過ごすところでした。

2003年10月12日(日) <我家にお泊りのはずが…>
今日はお客様がいらっしゃる日です。
夜の7時ごろ電話を下さるということだったので
昼間はお散歩して過ごしました。
翌朝のロールキャベツスープの仕込みをして、
晩ご飯を食べようとしたその瞬間、お客様から電話が・・・。
川崎在住の友人を家に呼ぶ予定だったのに、
急遽お客様と合流して川崎へ向かう事になりました。
電車と徒歩で1時間半。
川崎の友人宅は広くて快適です。
結局夜は2時頃まで呑んで、
男3人、猫1匹(みけにゃんこ)が、着の身着のままで雑魚寝です。 にゃはは〜。

2003年10月11日(土) <理由は…>
今日は天気も良い。
布団の準備と、大掃除の続きです。
なんで今ごろ大掃除かって?
年末に大掃除しないからちょうどいいのね(笑)
しかも日曜日にお客様がお泊りになるからなのです。
去年も10月の連休に、そうだったからなのです。
爽やかな秋の日に窓を開け放して大掃除するのは快感だからなのです。
何も寒くて気ぜわしい年末にやらなくたって…と思うからなのです。
私が勝手に我が家の大掃除シーズンを決めたからなのです。

2003年10月10日(金) <なぜか今ごろ大掃除>
今日は部屋中大掃除。
風邪か鼻炎か、くしゃみ鼻水がひどくて剣道は欠席。
一晩で随分良くなった。

2003年7月10日(木) <あるバーゲンにて>
正午を回った頃、PHSにメールが入った。
「Iさんのお店のバーゲンもう行きましたか?私は今日行きます」
剣道仲間のYさんからだ。
そういえばIさんから招待券をいただいていた。
私はすぐにパソコンを開いてメールに返事をした。「バーゲン今日まででしたね。一緒に行きましょうか。Yちゃんお仕事何時までですか?」
私のPHSはメール送信には全く不向きなので殆ど受信だけと決めている。
すぐに返事が来た。「用事を済ませて14時頃行く予定です。大丈夫ですか?」
今日は仕事が休みなのにわざわざ出てきたらしい。
というわけでIさんのお店の前で待ち合わせた。
お店に入ると婦人用傘、パラソル、手袋、ベルトなどの服飾小物が沢山並んでいる。店番をしているお姉さんにIさんを呼んでもらった。
「これはこれはお揃いで!」大阪弁のIさんはいつもの調子でにこやかに迎えてくれた。私たちが傘を色々探していると、あれこれと広げて見せてくれた。私は自分用に傘を2本、主殿にも傘を1本買うことにした。
そのうちIさんは、奥からビニールに包まれた淡いピンク色のものを抱えて出てきた。「これ!可愛いやろ?」それはレースの縁取りが手の込んだ可愛いパラソルであった。持ち手も木の節を生かした素敵なものだ。「昨日まで千円やったんやけどな、今日は最終日やし500円や!」
うーん、そう言われてもねえ、私は日傘は使わないし、母親達もたぶん使わないだろう・・・でももしかしたら私の母が使うかな?300円ならたとえ使わなくても買ってもいいよなぁ・・・。そう思いながらIさんのトークを聞いていた。
「普通やったらもっと高いねんけど、これだけちょっとケチがついて売られへんかったんや。」そう言いながらパラソルを広げて見せるIさんに、とうとう私は言ってしまった。
「300円やったら買いますわー!」
「よし、ほなこれ、ミケさんのな。」
おっと、困った。「冗談やろ〜?」の一言もあるかと思ったのだが。Iさん優しいからなあ。値切った私が悪かった…。
しかしですね、大阪弁で売り込まれると値切る雰囲気になってしまうんですよ。
Iさん、許してくださいね。

2003年6月15日(日) <剣道の試合とは?>
今日は春の地区大会である。
女子の部は毎回実業団所属のお嬢様方が女性とは思えぬ激しい戦いを繰り広げる。
私は3ヶ月のブランクが不安要素ではあったが、体力気力は十分回復していた。
地区大会への参加は3回目であるが、いずれも一回戦で実業団選手と当たっている。今まで、下手に打って出ても何度もかわされ、逆にこちらが動いたところを確実に打たれてあっさり二本負けに終わっていた。
今回・・・結果は書かないことにする^^;;
とにかく、試合では稽古以上に学ぶことが多い。
自分の新たな課題を強く認識する機会なのである。

2003年4月4日(金) <稽古始>
実際のところ、今日が今年の稽古始めである。
1月から丸3ヶ月稽古を休んでいた。
疲労が重なったのと風邪をこじらせたのとで、暫く大人しくして沢山眠るようにと医者から言われたのだ。

さて、体が動くかどうか、素振りで試運転である。
いつもの500本素振りは途中で休み休みついていった。
跳躍素振りは左右の足を交互に前後させて跳躍しながら竹刀を振るのだが、私のそれは跳躍というより「前後すり足」の状態であった。
うん、しかしまあ何とか動けるじゃないの。
全く剣道できない身体に逆戻りしていないかと心配したが。
ま、これからまたボチボチやるとしましょう。

この度は先生方、先輩の皆様に随分とご心配いただき、本当に有難く感謝申し上げる次第であります。

2002年12月8日(日) <年末は…>
よりによって多忙な年末に、所属道場の試合である。
しかも、女子の部は人数も5人と少なく、総当たり戦をしても実力差がありすぎる。四段のベテランさん&若手さん、三段のピチピチお嬢様、二段の熟れ頃さん、そして初段になったばかりの私である。
私はほとんど「一本勝負懸かり稽古」の心境であった。
実際、あっという間の2本負け。
気合もへったくれもなかった。

つぎは男子の部の総当たり戦でタスキ係。
出番までに赤か白かを確かめて背中の胴紐の交差した部分にタスキを付けなければならない。終盤戦では一試合終わる度一人の人に赤と白を交互に付ける場面もある。これが慣れないので結構気を遣う。試合を見るどころか、次は何試合先の誰のタスキを付け替えるか、そればかり気になっていた。

試合のあとは打上げなのだが、もう話す気力もないほど疲れていることに気付いた。
年末だというのに、こんなことで疲れきっていて良いのか?
まったくねえ・・・

2002年11月24日(日) <私ったら…>
今日は初段から三段までの審査の日である。
電車の乗換え駅で二段を受けるNさんと待ち合わせしたのだが、その駅の階段を昇るとき気付いた。
「あ!アミノ酸飲んでくるの忘れた…」
そんなことより早く気付けよ!
乗換え改札前でやっと気付いた。
「げっ!出発駅のベンチに竹刀忘れてきた…」
竹刀がなくては戦えぬ。
駅員さんにモノがあることを確認してもらい、引き返すことにした。
「Nちゃん、ごめんね先に行ってて〜。」
改札の中で待っていたNさんにそういい残した。
「何?この人…」って思っただろうね、Nさん。
戻って竹刀を受け取り、審査開始時刻に遅れないよう大急ぎで会場へ向かった。

時間には間に合った。
出番は一番最初。
脇に置いてある面と小手を抱えて、いざ!
とそのとき、後を追ってくる人あり。
「面と小手、これだよ」
そのお方は紛れもなく私の面と小手を手にしている。
あらま。
私は 二段を受ける同姓の青年のを抱えていたのだ。

そんなこんなでドタバタのうちに審査は終了。
まずまずの出来栄え(?)で初段合格することができた。
振り返れば冷や汗モノであった。

もちろん同姓の青年とNさんも、二段合格である。

HOME